toggle
2008-10-05

HAUS – HYAZINTH

ヒヤシンスハウス_1
さいたま市南区別所沼公園内にある、昭和初期の詩人立原道造が設計したヒヤシンスハウスを見てきました。


立原道造は詩人であり、東大建築家を卒業し、将来を嘱望された建築家でもありました。
しかしながら、彼は1939年に、わずか24歳で亡くなっています。
昭和初期、浦和市郊外の別所沼周辺には多くの画家が住んでいたことから、彼は「芸術家コロニイ」を構想。
自らが住まう週末住宅として、この湖畔を選び、50通りもの試案を重ね、この住宅を設計しました。
しかしながら、立原が夭折したため、実現することはありませんでした。
そんななか、別所沼公園がさいたま市の政令指定都市移行に伴い、埼玉県からさいたま市に移管。
これを機に、2004年、約70年近くの時を経て実現しました。
家を訪れると、白髪まじりのやさしそうな女性市民ボランティアの方が、中で読書をされていました。
その方によると、現在建てられている住宅は、計画では沼の反対側に建てられる予定だったそうです。
つまり、ベッド側から沼が見え、リビング側からは低い山が見えるることになります。
しかしながら、今の立地からはリビング側に沼があり、大きな窓から沼が見え、そして風が心地よく住宅内を通り、とても心地よく思いました。
ヒヤシンスハウス_2
ヒヤシンスハウス_3
ヒヤシンスハウス_4
ヒヤシンスハウス_5
ヒヤシンスハウス_6
わずか5坪に建てられたこの住宅は、とても小さいです。
でも、中に入るとこれで十分という気持ちにもなります。
普段の生活では、さすがに収納は少ないですし、キッチンとトイレ、バスのスペースも無いので、難しいと思います。
しかしながら、湖畔に建つ別荘なら、このくらいがちょうど良いと思いました。
心地よい狭さ。
立原は、書斎は北側が良いと言っていたそうです。
それは、一年中太陽の光の影響を受けなくても良いからだそうです。
もしここで詩を書いたなら、どのような名作が生まれたことでしょう。
この住宅には、十字架がモチーフとして所々に使われています。
聞くと、キリスト教徒ではなかったとのこと。
理由は闇の中なのですが、でも、とてもかわいらしく、そして無垢の木の色と、緑に塗られた窓枠の組み合わせがとても綺麗でした。
ヒヤシンスハウス_7
ヒヤシンスハウス_8
ヒヤシンスハウス_9
ヒヤシンスハウス_10
ヒヤシンスハウス_11
ヒヤシンスハウス_12
ヒヤシンスハウス_13

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。