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2014-11-07

新荒町附祭若者連 100周年記念誌

私も関わっている地元の夏祭り八戸三社大祭の山車組が、大正4(1915)年の初参加から今年で100周年を迎えました。
それを記念して記念誌を発行し、11月2日に行われた記念祝賀会でお披露目となりました。
私は、その記念誌の制作に関わらせていただきました。
記念誌は、一般向けには八戸市立図書館の2階郷土資料コーナーで閲覧できます
ご興味ありましたら、ご一読いただければ幸いです。

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まずは、制作にあたり沢山の方々に、特に写真資料でご協力をいただきました。
どうもありがとうございました。

この冊子で、私はデザインと編集をやらせていただきました。
と言っても、古い歴史のことや、写真資料を誰が持っているか等の知識が無いので、山車組で古くから参加されている下斗米さんに編集協力をしていただきました。
内容や写真収集では本当にお世話になりました。
冊子の体裁はA4変形、56ページ+表紙で全編カラーです。
写真をできるだけ多く、写真や文字はできるだけ大きく掲載したのが特徴です。
予算の関係でページ数が限られましたが、これでも最初よりも8ページ増やしています。
また、祝辞や年表等のページでも、ちょっとでも空きがあれば写真を入れるようにレイアウトしました。
冊子は長く残るものなので、変におしゃれにしないよう、「デザインしない」をコンセプトに進めました。
内容としてはほかに、この山車組は戦前は消防団が中心だったことから、消防団や屯所のこと、消防との関係も調べて写真とともに掲載しています。
自分でもわからないことも多々あり、勉強にもなりました。
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冊子の真ん中あたりに、昭和26(1951)年から参加している山車組の方の昔話を聞き書きした、読み物ページがあるのも、この冊子の大きな特徴のひとつです。
9月下旬に屯所を借りて、中心メンバー数人でお酒を飲みながら古い写真資料を見ながら進めました。
酔っていて声が大きくうるさいわ、話しが飛ぶわで、原稿に起こすのに、もうもう大変でした。
なまっていなかったのは、唯一の救いでしょうか。
でも、この記事を作って本当に良かったと思っています。
現在山車組に関わる方の中に、山車組の歴史を知る方は、そう居ないと思います。
戦前が消防団を中心としていたこと、戦後は町衆が中心になることで復活し、中心になる人物がいたこと。
トラブルがあって結束が深まったり、委員会や中心になる人物によって、山車組も変わりながら現在に至っていること。
この山車組にも歴史あり、そう思いました。
冊子では全面カットになりましたが、昔話を聞いていた製作メンバーが、昔話を聞いて、これからどうしたいかを語り出したのも、すごく良かったです。
紙面の関係で、この時聞いた内容を、他のページの写真キャプションにまわしたものもいくつかあるので、全体的に目を通していただきたいです。

この山車組に関わらず、お祭りそのものも様々な問題を抱えています。
山車小屋の土地の確保も大きな問題の一つ。
この山車組も、現在は山車小屋の安定的な確保ができずにいます。
古い資料類や山車に乗せる物等様々な物を倉庫に入れてしまっていますが、そういうものも、なかなか整理できずに保管されているようです。
だんだんと整理してしっかり管理したいという意識が芽生えてきても、安定的に場所を確保できなければ、小屋に持ってきて整理できないようなのです。
山車小屋の安定的な場所の確保が、昔のお祭りの資料の保存にも関連していることを、冊子の制作を聞いて知りました。

また、私はたまたまお祭りの組のある地域に住んでいて、小さいころから参加し、帰省してからも参加しています。
そういう立場なので考えずにはいられないのですが、よくこのお祭りに対しては「観光か伝統か」と言われます。
自分にとっては、その二元論は違うと思っていて、こういう伝統的なお祭りはまちづくりだと思っています。
地域に場所を確保して、地域の人々が協力し合い、作り上げる。
現在では、縁あってこのお祭りの山車を作ったり、お祭り本番で参加して下さっている方もたくさんいます。
そういう方と、一緒にお祭りは作り上げるものだと思っています。
今の時代、住んでいる人々も代わり、地方であっても町内にどんな人が住んでいるかもわかりにくくなっています。
そんな中で、地域の結束と言っても難しいものもあると思います。
「地域」というくくりで集まるよりも、趣味や価値観で同じ人が集まった方が楽です。
でも、このお祭り・山車組もいろいろあれど、これまで継続してきました。
最近の山車は代わり映えしないというようなことも耳にすることもありますが、それでも続いてきています。
町内会と山車組の関係が良いか、密かまで私は知りません。
ただ、どの町内ベースの山車組も、昔ほど密ではないのではないか、と想像しています。
それでも、たくさんの山車組が継続して山車を作り、お祭りに参加してきました。
すごいことだと思います。
このお祭りに限らず、ここ数年は特に「良い組織状態ではないけれど続けてこれた」ものがたくさんあると思います。
それらも、そろそろ厳しくなってきているのではないか。
そういう中で、真正面からその問題に対峙するのは荷が重いし、それで状況が良くなるとは思えない。

そう考えると、私はこういう冊子制作を通して、人々の意識に少しでも考えるきっかけを与えられたら良い、と思って作りました。
ワードで作ったような冊子であれば、きっと記録にはなるかもしれませんが、見てもらえないかもしれません。
内容をしっかり考え、体裁もほどほどに美しく作ることで見てくれます。
今、関わっている方、以前は関わっていた方に、これからについて考えて欲しいと思っています。
また、この組に限らず、他の組でも同様に、自分たちの歴史のこと、これからについてを考えるきっかけが生まれれば嬉しいです。
見るだけの人も、お祭りは嫌いな人はそんなに多くないと思います。
そういう方にも冊子を見ていただき、何かを考えていただけたら嬉しいです。
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この冊子制作を通して、初めて知ったことのひとつで、一番驚いたのがこれ。
木遣り音頭の合間に、小太鼓の子供たちが「やーれこりゃのせー」と小太鼓を叩きながら言いますが、それが「こりゃ」じゃなかったんです。
「やーれ小祝(こいわ)いのせー」が正しいのだそうです。
いつの間にか「こりゃ」になっていたけれど、誰も指摘しなかったのだそう。
先日の祝賀会でのお囃子の際に子供たちに教えるのを忘れていましたが、来年からは「こいわい」に直さないといけませんね。

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