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2005-06-19

d/SIGN季刊デザイン10号刊行記念トークショー

d-SIGN
昨日の夜、青山ブックセンター本店で行われたトークショーに行ってきました。
テーマは「デザイナーは今どんな場所にいるか」
出演者は柏木博さん、臼田捷治さん、原研哉さん、戸田ツトムさん、鈴木一誌さん。
大変興味深い内容でした。


話の概要から。

今の時代、何をどうすればどうなるのかがわかりにくい時代である。でも、世の中全体的に、食べ物でも住まいでも何でも”なんとなく心地良い”方向にきているのではないか。また、それに対して反論も出ないし、批評もされていない。
“何となく”となる背景には、大学の授業でも住み心地や使い心地などについての議論がされていないことがある。
また、建物を教える前に、住む場所のイメージを作ることから教える必要がある。
使う側がイメージを意識化できていないため、○○ホームで家を買う場合もトレンドを聞いて選ぶ人もいる。ほとんどが「とりあえず」買っておこうだ。また、逆に作り手も「とりあえず」これでいいや、というのがあるのではないか?
原さんはHapticで触覚(さらには五感全体)でよだれが出るようなデザインを、とデザイナーにテーマを出した。造形やかたちだけではなく、いかに感じさせるかというデザインを試みた。
今の時代、情報過多と言われているが、本当の意味での情報過多ではない。中途半端などうでもいいような情報過多で心地悪い。本当の情報過多は心地良いはずだ。そもそも人間は五感(人間の感覚)で情報をとらえた時、感性が豊かになって心地よいもの。そういうものに囲まれて生活するのは心地よいものだ。
グラフィックデザインの話になり、今グラフィックデザインはシンプルな方向にきている。それは、DTPの問題があるのではないか。DTPでは部品はすぐ手に入るが、その部品をレイアウトする根拠がない。「とりあえず」浮遊したまま置いてみて、それが世の中に出てきている。それは受け手の心地よさもあるだろうが、中には作り手の心地良いものを作っているというのもあるのではないか。でも、本来パソコンやDTPは個人性を発揮しやすいはずではないのだろうか。
また、今の時代装丁は”みなさん買ってください”というものが多い。それは本のメディア性は下がり(本文の後退性)、装丁の物質性は重要になっていて、装丁家に注目が集まる。それは、そもそも言葉そのものが変わってきているのではないか。昔は言葉がきりっとしていて、それは何回もスクリーニングがあったし、社会も厳しかった。だから書籍を作るときもそういうことを意識して作っていた。しかし、今は言葉そのものを簡単に発せられるため、質が昔と違う。
最終的な話のまとめとして、デザインでも前例を知り、昔よりちょっとでも良いものを、と努力することが大事だ。
たとえば椅子はリ・デザインの連続である。また、アメリカでの薬の開発の現場では、先行研究をまず調べるし、ロックでも、自分のやった曲と過去に誰か似たのをやっている人がいないかを調べる。画家も前例を調べる。文字も本当にわずかな違いながら、スクリーンで見ながらちょっとずつ変えていく。
結局、過去を見ながらちょっとずつでも変えていく努力が必要である。

原さんは五感(感性)で感じるデザインはまだまだやりようがあるはずだ、としきりにおっしゃってました。あまり笑わないのが印象的でした。
また、柏木さんと原さん以外は書籍や装丁を中心とした話になって、お二人が椅子や建築の話を出すのと対照的でしたし。。
結局このトークで明確な答えは出なかったし、やっぱり壮大なテーマだったのでしょうがないかというのもありますが、でも、何となく何をすべきか、どうあるべきかが見えてきた、というか・・・。
こんな高いレベルでの話をできるのは地球上の本の一握りの人間でしょう。難しい時代になったと思うとともに、こういうことで悩み、方向性をこれから自分も打ち出す一人になりたい、と思うのでありました。
このトークショーを聞いて、自分も「なんとなく」やっちゃってる人間の一人だし、このHPがシンプルなのも、どうするにも根拠が無いからだ、と実感しました。

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