札幌にお住まいのふたりの女子が作る旅がテーマの冊子、旅粒を購入しました。
この冊子に限らず、今はいろいろなリトルプレスのものが出ています。 たいてい大きさやページ数、使っている紙、印刷した時の仕上がり感など、体裁は似た傾向があるで、中にはこのようなものに見飽きた人もいるかもしれません。 でも、きっとそれは見方のコツがつかめてないのかもしれません。 小冊子はとてもおもしろいです。 今回、冊子の購入をきっかけに少しメールをやりとりさせていただいたこともありますが、でもこの冊子は、そういった小冊子のおもしろさが、僕にとっては一番伝わってきたものでした。 冊子によってテーマはいろいろだと思います。 でも、きっとその冊子に共通しているのは、「伝えたい」ということだと思います。 「伝えたい」というと、今はパソコンでも携帯電話でも、さらにはiPhoneでリアルタイムにも、世界中誰とでも繋がり合える時代です。 ブログでも情報を発信できます。 でも、あえてそこで紙というメディアを使う。 さらに、小冊子なので流通範囲は限られているけれど、だからこそ欲しい人は様々な経路で見つけ、購入する。 だから、わりとピンポイントに、そのような情報を欲しい人に届きます。 今回の冊子も、そうやって届きました。 そして、この冊子は特にふたりの女子で作り、毎号毎号試行錯誤しながら制作しているよう。 その、ふたりという顔の見える人数と、冊子の中の少しずつの変化が、会ったことはないのに、どこか近く感じられ、応援したくなる。 こうやって、いろいろな地域からいろいろな冊子が生まれていますが、だからといってすぐに何かが変わるわけではないと思います。 でも、こういう冊子が生まれ、それに反応する読者がいて、同じように反応し、その冊子を扱う遠方のお店も出てきて、そういう中から繋がりが生まれる。 今の時代、そこがすごく大事なんだと思います。 その繋がりを大切にしつつ、さて、自分は?と思うのです。 八戸・・・僕は、この街は様々な価値がほとんど掘り起こされていないと思っています。 自分よりも上の世代の方々は何でもないと思っていることの中にも、僕は価値があるものもある、と思い始めました。 例えば、昔、村次郎という幻の詩人が八戸にいました。 「あのなっす・そさえて」を設立しました。 「あのなっす」、「あのね」というような、親しみのある方言です。 彼は20世紀に生き、湊の方で暮らした人ですが、彼が生きた時代は今の街と違います。 繁華街も、海岸の方の街並も。 ほかにも当時、八戸の海岸で多くの文化人が訪れ、作品を残しています。 そういった当時の価値を掘り起こし、伝え、今と昔を繋いで考えるきっかけをつくるだけで、街が違って見えてくるかもしれない。 それを知るだけでも、この街での生活は少し豊かに感じられるかもしれない。 そんなことを思うのです。 「旅粒」という冊子を読みながら、僕もこんな作り手の空気が感じられるような、顔が見えるような発信をしたい。 時間がかかってもいい。 少しずつ、種を膨らませてゆこう。
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