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2008-08-27

三八城公園(追記)

三八城公園
「三八城」と書いて、「みやぎ」と読みます。


公園好きな私にとって、地元で心が落ち着きそうな公園が無くて困ってました。
それで、この三八城公園の存在は知ってましたが、八戸市の中心部にありながら、あまり目立たなかったので、ほとんど行ったことがありませんでした。
でも、今日行ってみたら、ちゃんと整備されていて、よさげでした。
この公園、八戸藩の本丸跡に整備されたもので、歴史がある場所なんですね。
それで、この一ヶ月くらい地元にいて思ったのは、青森県には、良いものが無いわけではない。
「食」もいろんなものが美味しく、かつ安いし(その分給料も安いのですが)、自然もたくさんあるし、人柄もいいし。
ただ、それが全体としてパワーを持っていない。
う〜ん。
地元にいる人には、地元愛が強すぎるのでしょうか。
一歩引いた客観的視点で、地元を見て創る視点、評価する視点が弱いのかな、などと思いました。
いつもチェックしているブログに、黒崎輝男さんのブログがあります。
その最新記事を読み、思いました。
はたしてこの街には、「たまり場のようなカフェや本屋、自分の気に入った居場所」があるのだろうか。
大学進学で地元を離れ、今年で12年。
中心街は衰退しました。
残念ながら、今の八戸の中心街には、そのような場所は少ないです。
あっても、生活に必要なお店や場が無くなっているため、中心街に来る必要性が減っています。
だからといって、地元に中心街の再生計画が無いわけではないけれど、それも昔からの地元の利権者が、自分の利益を守ろうとしてなかなか進まず、空洞化に拍車がかからないという噂も聞きます。
そして、そうやって長い時間かけて計画が進んでも、いざ今実行しようとしたら、建設資材の高騰により設計変更を余技されるなど、悪循環の連続になっています。
また、生活にはハレとケがあると思います。
日常と非日常。
何でもない毎日と、お祭りやイベントの日のような、特別な日。
どちらか片方ではダメで、両方無いといけない。
街も、両方無いとダメだと思っています。
もしかしたら、この街でも両方で考えているのかもしれません。
しかしながら、「にぎわい」ということばを多用してハレの舞台はたくさんつくり、中心街の活性化をやっているけれど、肝心のケとしての街は、逆に悪くなっていると思います。
普段、ほとんどの人が街を利用しないのに、非日常だけで人を呼び込んでも意味がない。
他の街でどうかはわからないけれど、その「にぎわい」という言葉にすごく違和感を感じるのです。
そんななか、最近、私は年齢的なこともあり、知人の子どもとふれあう機会が増えました。
そして、いつか自分も子どもができるかもしれない。でも、その子ども世代に、果たしてこの街を自信を持って引き継いでもらえるかと考えると、残念ながらそうは思えませんでした。
東京も、地方都市も、僕は一緒だと思います。
やっぱり、その街を愛する人達が街を創り、文化を創り、人を育てる。
もちろんお金を儲けることも大事だけど、自分の利益を守るだけではなく、社会に貢献することも考えていかなければダメだと思います。
どんなに頑張っても、関東圏以外の都市の人口は減ると思います。
でも、難しいけれど、人が減るのであれば、ただ減ってスカスカになって衰退していくよりは、質を高めながらコンパクトにしていく方がよっぽど良い。
そして、GDHという言葉もあように、豊かさの基準はお金じゃないです。
今の資本経済の中では、いつの間にか豊かさ=経済的豊かさになってしまっているけれど、その「豊かさ」をもう一度考えることで、特に地方は輝きを取り戻せると思っています。
幸せって、なんだっけ/辻 信一
秋に、12年目の関東での生活を切り上げて、地元に戻ることにしました。
戻ってからのことは白紙なので、やっぱり不安もありますが、やりがいがあって楽しそう。
そして、何より安くてそこそこのご飯ばかりの生活から脱却できそうだと、胸が弾んでいます。


青森県八戸市内丸1

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